「淡島神社」入り口、かつて大和製糸工場があった頃、女工さん達が列をなしてお参りしていたらしい…
…林 二郎さんのコメント;
「女工哀史」ですかね。ちょっとこの製紙会社の最盛期の大正後期の状況をネットで調べてみました。女工さん200人、年齢・12歳〜23歳、全寮制、就業時間・1日10時間(朝食前の1時間30分の就業あり)、消灯・午後9時(夜間外出禁止)、休日・月2日(第一、第三日曜日)、賃金・15~18円(現在の6~7万円、仕事を覚えるまではほんのわずか。当時の上級の国家公務員の月給が50~70円)、80%が東北出身20%が県内出身。−−ということでした。神社のお参りに列をなすのは想像できます。故郷の病気の父母、兄弟の回復でも祈ったのでしょうかね。想像すると胸に迫ります。
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「開拓苦難の石塚」は「石ぐら」とも呼ばれ、未開の那須野が原開拓でゴロゴロ出てくる石を積み上げた物。
当時の苦難の証として残されています。
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「那須塩原市の支所」シンボルの時計塔が印象的で開拓者の生きる姿を表現した「希望」と名付けられた男性像も。
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「一本杉と稲荷神社」は推定樹齢200年で那須の原野を往来する人々の目印だったらしい。
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午前に歩いたルート。推奨コースを全て辿った訳ではありませんが凡そ5kmのコースです。
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午後、文具の「タカタ」駐車場から、かーちゃんと一緒に歩いたコース。同様に5km程でした。
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